なぜ本や占いを読むのが好きなのかな?と思ったら、感動の言葉と出会いたいのだなと思った。
小説
文章に「ストーリー」や「空想、インスピレーション」、「感動」などの付加価値をつけたもの。
辞書
言葉と「意味をつなげること」や「知識」という付加価値をつけたもの。
占い
文章に「あなただけ」「希望、期待」「感動」という付加価値をつけたもの。
付加価値が高いものほど、当たり前だけど価値が高い
例えば、占いで言えば、それを読んだ自分が、感動するようなことがことが頻繁にあれば、その占い師のファンになる。
私が毎日朝の日課で見ているジョナサン・ケイナーさんのサイトで、先日も以下のメッセージが記されていた。
『あなたがどんな借りをつくってきたか、あるいはいくつの約束をしてきたかにかかわらず、あなたが常に忠実でいなくてはならない相手は一人だけです。鏡の中をのぞき、そこにあなたの尊敬する人が見えているかぎり、周りからの称賛を集めようと躍起になる必要はありません。』
※ケイナー・ホロスコープ 2017年10月31日 山羊座の予報より引用
これを読んで、
ああ、「自分を尊敬する」なんて考えてもいなかったし、鏡を見て、しょぼくれてる姿を見て、「もうちょっとしゃきっとしなきゃ」とか、「尊敬する人にどうすれば見える?」とか「ああ、俺の中身も、俺の体も、よく頑張ってるな。ありがとうね。」と感じたり、さまざまなものが自分の中を巡ったりした。
ブログもまさに「言葉や文章に付加価値をつけてコンテンツ化する」ということ
ブログの文章もなんらかの「付加価値」がついて、コンテンツとして成り立っているのだなと思う。
なんの付加価値をつけるかで、コンテンツ=ブログの価値も決まるのだなぁと思います。
で、なんなの?っていうか、このブログにはいったい何の付加価値があるのかを見直さないといけないという課題が浮き彫りになったということで。。。
ではでは
コメント